高校2年生の時に参加したBell Collegeというかなり大きな語学学校のサマープログラムは、斡旋会社を通すと驚くほど高かったので資料だけ取り寄せて、手配は高校にいたイギリス人の先生と、英語の先生の力を借りつつ自分でやった。
夏休みだったのでチケットは南回り(香港での乗り継ぎを含め20時間かかった!)だったにも関わらす24万円もした。
プログラム自体は16歳以下が対象だったのでかなり遊びメインっぽい内容だったのでそれなりに楽しかった。
その一年後。そろそろ進路を決めなくてはならない時期になったときに、割と自然に「イギリスの大学に入ろう」と決めた。昔から何かモノを創る仕事がしたいと思っていて、当時映画が好きだったので、イギリスの大学で映画を勉強すれば、同時に英語もマスターでき、しかも大好きなイギリスに4年(予備コース1年、本コース3年)住める・・・と甘い夢を描いていたのだ。
そして飯田橋のブリティッシュ・カウンシルに行って、イギリスの大学でFilm Studiesがある学校を調べ、大学にFAX
を送って資料を取り寄せ、IELTSというイギリスの大学に入学する際に英語力の基準となる、TOEFLみたいなテストを受け、高校の成績証明書と推薦状(英文)と、テストの結果を送付したところ、見事合格。
期待に満ちあふれ、1995年9月に渡英した。
始めはイギリスでの生活と英語に慣れるために、North YorkのScarboroughという小さな街の語学学校に通う。ここではホームステイだったのだが、ランドレディのBrendaと、ハウスメイトのMariaととても気があって、大学に入学後も月に一度はScarboroughに戻ってきていた。
Scarboroughでの生活は、それまでの人生の中で最良の時だった。学校の友達と放課後はショッピングやビリヤードやボウリングに行き、夜はPubに行くという日々。
このままずっとここにいたい・・・そう思いつつ9月の末に大学のあるCanterburyに旅立った。
大学は大聖堂で有名なCanterburyの、丘の上。駅までバスで15分ぐらいかかる大変不便な場所にあり、大学の周りは緑豊かでリスや野ウサギがいたりして環境はとてもよかった。
が、私の入った寮は、4.5畳ほどの部屋にベッドと大きい机、シャワー&トイレがあるという、まるで監獄のような狭さで、まずこれでかなりダメージ。さらに毎晩隣の部屋の人が遅くまで騒ぐわ、廊下でも騒いでいる人がいるわで最悪な環境だった。耳栓ナシでは眠れない程だった。
肝心のコースの方だが、英語が母国語ではない国からの留学生は、まず1年間の予備コースに入りそこで英語を勉強し、1年後に本コースに入学するための試験を受ける、という仕組み。
英語の勉強、といっても、英語だけでなく英語で社会学や美術史などを学ぶので、教科書を読んで、課題のEssayを書いて・・・というとてもハードな毎日。
この前久しぶりに当時の教科書を見つけて見てみたら、よくこんなものを勉強していたな、と感心した。
これから先もこの当時以上に勉強することはないだろう。
とにかく毎日図書館に通って資料を探してEssayを書いてた。寮の食堂のご飯はまずかったし。
楽しみは自炊できるタイプの寮に住んでいた友達の所で一緒にご飯を作って食べることと、彼女と日曜日にロンドンに行くことだった。彼女はその後他の大学に進学し、去年無事卒業。一年のイヤーオフを経て今年の秋から大学院に進学するそうだ。
それと、中学からの大親友から毎日のように届く手紙。
私もほぼ毎日出していたので、1週間のタイムラグがあるがそれがまた楽しかった。今でもその手紙の束は私の宝物。もし彼女の手紙がなかったら、私はもっと早く帰国していただろう。
彼女には今でもとても感謝している。
結論を言ってしまうと、私は半年で大学を中退した。家庭の事情で、だったのだが、自分も精一杯頑張ってもういいやと思っていた時期だったので、後悔はしていない。
でもその後ドイツの大学を目指して親友がドイツに渡ったりした時は、私もイギリスでやり残してきたことがある、とは思った。今は映画とは全く関係のない仕事をしているし、今後映画関係の道を目指すことはもう無いだろうけど、いつかチャンスがあったら、前回やり残してきたことを、やり遂げたいと思っている。 |